こんにちは、泪-rui-です。

 

久々の読書記録。

 

 

図書館を散策していて、タイトルに惹かれて借りてみました。

 

 

 

白いひつじ

 

著・長野まゆみ

 

初版・2009年 (筑摩書房)

 

 

 

読み始めたら夢中になってしまいました。

 

 

内容は、少しBL(ボーイズラブ)のテイストがあるので苦手な方はご注意ください。

 

 

全体的に優しい雰囲気のするストーリーでした。

 

 

 

誰にでも、夢のような出来事があります。

 

 

夢だったのか。

 

現実に起きたことなのか。

 

 

幼い頃の記憶には、曖昧なものが多くあります。

 

 

 

「こんなことが、あった気がする」

 

 

確信に近いものがあっても、

周りの大人たちは、そんな話をすることもない。

 

 

自分自身にとっても曖昧な記憶だからこそ、口には出さない。

 

けれど、夢ではないと感じている。

 

 

 

その夢のような記憶が、真実だと判明したとき、

 

なにを思うのだろうか。

 

 

 

大人たちは「夢」だと言うけれど、真実であったのなら。

 

 

大人は、都合が悪いことを「夢」と言い聞かせることがある。

 

嘘ではないし、確かに現実であるのに。

 

 

それでも、絶対的な信頼している親に「夢」と言い切られたら、

 

「夢だったのかな」と思ってしまう。

 

 

それでも、「確かに現実だった」という気持ちは変わらない。

 

 

「うそつき」と言われたくないからこそ、

 

それは、自身にとっても「夢」となって、

 

口に出すことを恐れてしまう。

 

 

自分の中にある「夢のような記憶」が現実に起きたことであったら。

 

 

それは、自身にとってツラいことなのか。

 

子どもを守るためのことだったのか。

 

大人がもみ消した現実だったのか。

 

 

「夢のまま」でいいものなのか、

 

「知りたくなかったこと」なのか。

 

 

 

それは、知ってみないとわからない。

 

 

ただ、「隠されている」という雰囲気は、

 

大人に対する猜疑心になってしまうのだ。

 

 

なにが正しいのかは、誰にもわからない。

 

 

 

泪-rui-

 

 

 

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こんにちは、泪-rui-です。

 

 

ずっと気になっていた本を、やっと読みました。

 

「夜は短し歩けよ乙女」

 

 

 

タイトルは知っていたのですが、

 

なかなか読む機会がありませんでした。

 

 

内容は、よく知らなかったのですが、

 

このタイトルの雰囲気が好きです。

 

 

どんな話なのかなぁと、ワクワクして読み始めました。

 

 

単純に言えば、

 

「天然ボケ女子」のお話ですね。

 

 

なかなか楽しくて、あっという間に読み終わりました。

 

 

気付いたら、座りっぱなしでお尻が痛くなっていましたねぇ。

 

 

 

人って、ある程度の「ボケ」があったほうが幸せなのかもしれませんね。

 

私自身も「抜けている」とか「アルツハイマーか!!」とツッコミを貰うことがあるのです。

 

 

天然ボケの人って、周りを振り回しているのだろうなぁと他人事ながらに思うのです。

 

実際、振り回しているつもりはないし、

 

思った通りに行動しているだけなんですけどねぇ。

 

 

私自身、自分のことを「天然ボケ」だとは思っていませんし、

 

人に「天然ボケ」と言われると腹が立ちます。

 

 

こっちには、こっちの考えがあるし、

 

ただ、それをすべて説明することが面倒なだけです。

 

時間がかかるし。

 

 

その自分の中の思考を説明するのが面倒です。

 

 

手前味噌ではありますが、

 

私自身、「頭の回転が速い」と自負しております。

 

 

同じスピードで会話とか討論ができる人と会話していると、

 

他の周りがついてこれなくて、文句を言われることもありますね。

 

 

頭の回転が速いが故に、

 

結論に至った経緯を説明することが面倒なので、省略しているだけです。

 

 

それが、突拍子もないことを言う天然ボケと見えるだけなのです。

 

 

 

この「夜は短し歩けよ乙女」を読んでいて、

 

「天然ボケ」っていうのは、説明することが面倒なだけなのだという確信を得ました。

 

 

天然ボケは面倒くさがりなんですね。

 

 

 

泪-rui-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、泪-rui-です。

 

 

少し前に話題になっていた本ですが、

 

やっと読むことができました。

 

 

かがみの孤城 著・辻村深月

 

 

周りの声が聞こえなくなるくらい、熱中して読んでしまいました。

 

 

読み終わった感想は、

 

どんなに、科学や文明が発展して、時代が変わっても、

 

人間は、なにも変わらないのだなということです。

 

 

確かに、私たちの社会は常に変化しています。

 

携帯電話、ゲーム、社会のシステムなど、

 

すべてが時代の流れの中で変化しています。

 

 

その中で、変わらないことは「人間の本質」なのだと、改めて実感しました。

 

 

いじめ、不登校をはじめとして、

 

殺人、強姦、虐待など。

 

 

現代では、社会のシステムからして、表ざたになるようになりましたが、

 

昔から、そんな事件がなかったわけではありません。

 

 

もしかしたら、昔のほうが多かったのかもしれません。

 

 

表ざたになったからこそ、社会問題となっただけなのです。

 

昔は、傷つく人がいても、社会は守ってくれなかったということなのですね。

 

 

それが、「いい時代になった」ということなのかは、私にはわかりません。

 

 

社会が「守ってくれる」ようになったからこそ、

 

人間が弱くなって、耐えられなくなってしまったからのかもしれません。

 

 

昔の人は、耐えるだけの力をもっていたのかもしれません。

 

 

耐えられようが、耐えられなかろうが、

 

その人が、深く傷ついたことには変わりません。

 

 

「傷つけられた」という事実は、なにも変わらないし、

 

耐えられるか、耐えられないかは、問題ではありません。

 

 

「人を傷つける」「暴力を振るう」などの行為が問題であるだけです。

 

 

「そんなことにも、耐えられないのか」と、

 

被害者を責める人がいますが、

 

どうして「傷つけられた人」が責められるのですか?

 

 

人を傷つけた人に、罪がないような言動をするのは、どうしてですか?

 

 

そんな世の中には辟易しますし、

 

「傷つけた人」と戦って、

 

「傷つけられた人を守ろう」としてくれる人がいるのに、

 

どうして、そんな人たちを敵視するのか、私には理解できません。

 

 

科学や文明が発展しても。

 

人間という生き物は、なにも変わっていないのですよ。

 

 

たぶん、原始時代とかから、なにも変わっていないのではないかなぁと思います。

 

 

 

泪-rui-

 

 

 

 

 

 


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